内灘町といえば大きな風車と遊具、展望台がある総合公園が有名ですが、今回はちょっとニッチに、総合公園の「向かい側」にある公園を紹介しようと思います。ちなみに、内灘町のホームページを見ても、公園名は記されていません(!)。
なぜこのようなニッチな公園を紹介しようと思ったのか。理由は3つあります。
・比較的すいていて、小さな子が安心して遊べる
・「北陸の宝塚」粟ヶ崎遊園の面影が残る
・隣に展望温泉と歴史博物館がある
順番に紹介していきます。
比較的すいていて、小さな子が安心して遊べる
じつはうちの娘は、人が多いところがちょっと苦手。さらに、まだ未就学児なので、小学生が走り回って遊んでいるような場所だと物怖じしてしまいます。そのため、規模は小さくても、小さな子がのびのびと楽しめるような遊具の方を好みます。
総合公園の巨大な複合遊具は、たくさんの小学生が走り回り、娘にとっては「苦手」を凝縮したような場所です。そんな中、「向かいの公園」は比較的すいており、小学生以上の子が少ないため、未就学の小さな子も楽しめる空間です。
設置されているのは、2種類のすべりだい(長いローラーすべりだい&幅広のコンクリートすべりだい)と、ブランコ、動物型の椅子、砂場、最近では珍しいジャングルジム。藤棚の休憩スポットもありますよ。
「北陸の宝塚」粟ヶ崎遊園の面影が残る
この公園には、実は地元の人にもあまり知られていない歴史スポットがあります。それは、「北陸の宝塚」と称されたテーマパークの入口跡です。
テーマパークの名は、粟ヶ崎遊園。「北陸の材木王」と言われた平澤嘉太郎氏が1925(大正14)年に現在の内灘町に設立し、園内には大劇場や大浴場、野球場、ゴルフ場、宿泊施設、動物園などが並びました。
とりわけ大劇場は人気で、新国劇の俳優・川上一郎氏を座長に迎えた「粟ヶ崎大衆座」や、宝塚少女歌劇団を倣って編成された少女歌劇団が注目を集めたそうです。
しかしその後太平洋戦争が勃発し、軍に接収される形で1941(昭和16)年に閉園。建物も壊されてしまいました。
そんな中、本館正面にあったアーチ型のゲートのみが公園内に移築される形で残され、当時の栄華を伝えています。
歴史に「if」は禁物と言われますが、戦争がなければ、宝塚と並び称される歴史と伝統ある歌劇団が、この地に育っていたかもしれませんね。
隣に展望温泉と歴史博物館がある
地域の方にとっては、むしろこちらのほうが親しみ深いかもしれません。展望温泉の「ほのぼの湯」です。
この温泉の一番のポイントは、お湯に浸かりながら望む白山・立山連峰と河北潟の景色。塩化物泉のお湯は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩などさまざまな箇所に効能があるとされ、地元の人に親しまれています。
大人500円、小学生以上200円、小学生未満無料という価格の安さもうれしいですね。
入浴後は畳敷きの広場でゆっくりと休んだり、マッサージ機でリフレッシュしたりできます。
また、ほのぼの湯にはレストラン「湯カフェ」が併設されています。こちらは温泉に入らずとも利用できるので、公園に行ってお腹が空いたり、喉が渇いたときに立ち寄ってみるのもおすすめです。
温泉の隣には歴史民俗資料館「風と砂の館」があります。粟ヶ崎遊園をはじめ、日本初の基地反対運動である「内灘闘争」(五木寛之氏「内灘夫人」のテーマとして知られています)の歴史などが、資料を通して学べます。
下記が公園の情報です。ぜひ展望温泉、歴史博物館と合わせて訪れてみてくださいね。
・トイレあり
・駐車場あり
以下も内灘町の公園です。あわせて、ぜひお読みください!
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